- 始めに
- 3月11日14:46 地震直後
- 3月11日 1,2号機全電源喪失(1号機15:37、2号機15:41)
- 3月11日 1号機冷却状況
- 3月11日19:29 1号機メルトダウン開始
- 3月12日7:11 首相視察
- 3月12日14:01 1号機ベント成功からの水素爆発(15:36)
- 3月12日11:36 3号機冷却機能消失
- 3月13日5:30 3号機メルトダウン開始
- 3月14日11:05 3号機水素爆発
- 3月14日13:25 2号機冷却機能消失→メルトダウン開始(21:09~)
- 3月15日6:15 2号機容器圧力0確認
- 最後に
始めに
Youtubeで発電所やボイラー関係の動画をたまに見ているのですが、その中でも印象に残っているのがNHKスペシャルで放送されていた
という動画。
3.11の地震後の福島原発事故がどのようにして起こったのかを再現ドラマ化した動画です。今は亡き大杉連さんが所長役で1時間半の長時間動画です。
役者さんの演技も相まって不謹慎ながらもとても興味をそそられる動画でした。
その時はあくまでエンターテイメント的な感覚で動画を見ていたのですが、少し前に会社の同僚とこの話題がでて
「そもそも何で爆発したんだっけ?」
「どうすれば防げたんだろ?」
など色んな疑問が湧いてきたので再度この動画を見直してみました。
そして先日アマゾンプライムで500円レンタルでその福島原発事故を映画化した作品
「Fukushima50」
が見られるようになっていたのを知ったので、これも夜勤中に一気見してみました。
※Fukushima50の由来は原発事故後に最後まで現地で残って作業をした人を称えてそう呼称されたものです。
感想としては
「Youtubeの動画とほぼ一緒やん」
どっちも同じ事故を扱ってるんだから当たり前ですけど。
セリフも同じですね。多分実際の会話資料なんかを参考にしているのでそうなるのだと思います。
主人公的な人は当時福島原発の所長を務めていた吉田昌郎という方です。
Fukushima50では渡辺謙が演じています。
そしてこの動画と映画を見ることでけっこう色んなことが分かりました。
3月11日14:46 地震直後
当時は1~5号機の内、1~3号機が起動していた。
地震発生直後は1~3号機でスクラム(原子炉の緊急停止)は成功した。
その後1号機で設置されている「IC」という劇中はイソコンと呼ばれる非常用復水器が起動し炉の冷却を開始した。(ちなみにこのイソコンは運転開始後40年間で初めて起動したらしい。)
この冷却を一気にしてしまうと炉が急激に冷えて破損する為、炉内圧力・炉水温度を見ながら断続的に手動で入り切りしていた。
また、外部電源が無くなったため所内動力はDG(非常用発電機)で供給していた。
3月11日 1,2号機全電源喪失(1号機15:37、2号機15:41)
イソコン操作中、急に中央制御室が真っ暗になる。
運転員が「DGトリップ!!SBOです!!」と叫ぶ。
(SBO:ステーション・ブラックアウト)
2号機で「RCIC」という冷却装置を起動するが、この直後2号機もSBOにより停止してしまう。(この時にRCICを起動していたおかげで2号機は14日まで冷却出来ている)
その後外からの作業員の報告によりこれが津波による全電源喪失であることが分かる。
吉田所長はこの時点で最悪の事態を想定し、東京本部に電源車派遣の要請をします。
【所感】
全停止は経験有りますが、私が経験した程度の小規模発電所なら
「何にもする事無くなったね(笑)」
で済みますが、これが原発で機能停止なんて事態、考えただけでゾッとします。
3月11日 1号機冷却状況
イソコンはバルブさえ開いていれば電源有無に関係なく冷却できるが、全電源が喪失し計器が全部死んだ為、イソコンの起動停止状態が中央から分からなくなってしまった。
冷却できないと炉水が蒸発し核燃料が露出→自らの熱で容器が溶けるメルトダウンが発生してしまう。
外から蒸気の発生量を確認した所、イソコンからの排気量はほとんで出ていなかった為、イソコンは停止していると推測された。
この時偶然バッテリーが復旧し原子炉水の水位が見えたので確認した際、「-90cm」であることがわかった。
この水位が-250cmまで低下すると核燃料露出(TAF)となり、情報班の予測ではあと1時間でこのレベルまで到達してしまう危機的状況にもかかわらず、現場の慌ただしさでその報告が埋もれてしまった。
【所感】
せめてこの時イソコンが起動状態であれば1号の炉心融解は避けられたのかな?それとも時間の問題だったんでしょうか。
そして情報班!もっとちゃんと報告しなさい!
慌ただしいのは仕方ないとして、そんなヤバい事態は確実に伝えないとダメでしょ!
そして1時間後にもう一回確認せんかい。
「あのぉ~もう1時間経過してTAFってると思うんすけど・・・どうなってます?」
絶対怒られると思うけど。
個人的には戦犯の一つなのでは?と思った。
3月11日19:29 1号機メルトダウン開始
1号機の原子炉の底から大量の核燃料が溶け始まる。
原子炉から溶け出しても、格納容器で原子炉は密封されているためまだ外部には漏れ出してはいない。
しかし、この格納容器圧力が600kPa(設計限度圧超過)に到達していると計器により確認された。
この格納容器の破壊だけは防がないといけない為、「ベント」という操作を行う必要がある。
~ベントとは?~
格納容器内の圧力を外部へ放出すること。汚染蒸気が外部へ出されるが、排出前に水を含むフィルタを通すことで放射性物質を限りなく低下させる。
電源は無い為現場へ行って直接バルブ操作をしなければならない。
当然被爆の危険大。決死の覚悟で運転員がベント操作を行うも、放射能汚染が激しく中々うまく進まない。
【所感】
ここのベント作業に向かうシーンは感情移入していると見ていて辛い。自分だったら絶対こんな作業行きたくない。
水を差すようで申し訳ないが、皆が手を上げてるから空気を読んで「俺も」って言ってる人もいたのではと思ってしまう。
運転員の若手が「何もできないのにここにいる意味があるのですか!?」と言ってベテランに諭されるシーンがあるが、わかるぞあんたの気持ち。
まぁ運転員は、そこにいることが仕事でもあるのでベテランの言い分も正しいのだが・・・
3月12日7:11 首相視察
映画を見ているだけなのに胸糞悪くなるシーン。
首相役の俳優、佐野史郎の演技力の高さがまた殺意を上昇させる(笑)
当然映画でフィクションだし、きっと誇張されている面も多くあるとは言え、現場側の目線で見ているとありうる場面なのでけっこう共感してしまう。
実際いるんだよ。こういう現場知らないくせにしゃしゃり出てくるお偉いさんが・・・
私の今努めている会社にもいましたね。初代社長がそうでした。
トラブルでこっちが色々やってる最中「何々?どうなってるの?」と首を突っ込んできた挙句、最後は「何やってるんだ!!」とキレる。
現場からしたらトラブルよりも厄介な問題です。
3月12日14:01 1号機ベント成功からの水素爆発(15:36)
人力では失敗し、最後は遠隔操作でベントを成功させる。
しかしその僅か1時間後に結局1号機で爆発事故発生。
原因は核燃料から発生した水素が爆発したことで、これにより建屋が骨組みだけになった。
電源復旧作業もこれによりやり直しとなってしまった。
【所感】
ここまで見ていると、
・イソコンが停止状態の時に全停止してしまったこと
・TAFになる時間等の重要情報がうまく伝達できていなかったこと
・首相が来たこと
・電源車が遅れたり作業がうまく進まなかったこと
・ベント作業が中々できなかったこと
等の不運が重なった結果1号機爆発が起きてしまったと思いました。
RCICを起動して全停止となった2号機は3日間冷却が出来ていたので、少なくともICさえ起動状態であれば1号機もそれくらいの期間は耐えれたんじゃないかなと思います。
これが1個でもうまく機能していれば結果は少し違ったのか、はたまた結局は爆発していたのか・・・
3月12日11:36 3号機冷却機能消失
3月13日5:30 3号機メルトダウン開始
3月14日11:05 3号機水素爆発
3号機の冷却機能は一部水没しなかったバッテリーにより確保できていたが、12日にはその冷却機能が失われてしまう。
吉田所長はここで、ピットの水から消防車での炉内冷却を提案し実行します。
13日9時頃以降、消防車からの水を格納容器まで注水できる一本道の配管経路を作って注水を実行することで冷却が開始された。
・・・と思われていたが、線源上昇は依然止まらない。
実はこの時一本道だと思われていた配管経路が、実際はポンプ等へ行く4箇所のラインへ水が漏れており、炉に注水されていたのは想定の半分以下の量であったことが後に判明している。
よってこの時にはすでに3号機でもメルトダウンが始まっており、結局翌日の14日11:05に3号機も水素爆発を起こす。この爆発は1号機に比べてもはるかに大きいものだったが、奇跡的に死者はいなかった。
【所感】
3号機の水素爆発は完全に注水ラインの不備が原因だったと思います。
13日に注水開始した時には既にメルトダウンが起きていたとのことですが、この注水が完全に行われていればここまでの事故には至らなかったのではないか。
3月14日13:25 2号機冷却機能消失→メルトダウン開始(21:09~)
2号機はRCICを起動した直後に全停電したため3日間奇跡的に冷却できていたが、ここで遂にその冷却機能が失われる。
2号機の何がそこまでヤバかったかと言うと、爆発を起こした1,3号機はベントには成功していたため建屋は爆発したものの格納容器は無事であったのに対し、3号機爆発時に2号機のベントバルブに不具合が生じベントが出来なくなっていたこと。
この対応方法は2つ考えられた。
①何とかベントを行う
②SR弁を開け消防車で注水冷却
この②の注水でSR弁を開けた時、もし3号機のように注水がうまくできていないと炉の水が一気に失われあっという間にメルトダウンを起こし格納容器破壊という最悪のリスクがあった。
なので現場は何とかベントを先に開け万が一に備えようとするが、原子力安全委員長である班目氏の進言や本部にいた清水社長の命令によりSR弁を開け注水を先に行うよう指示されやむを得ずSR弁開操作を行った。
そして一気にTAFである-3700mmへ水位が下がってしまう。
原因はやはり消防車の注水が出来ていなかったことによるものでした。
ベントもできず炉内圧力が上昇してしまいます。
吉田所長は、この時点で「東日本壊滅」という最悪のイメージを考えたと語っています。
【所感】
ここでの戦犯はSR弁を開けるよう指示した本部連中ですかね。
でもベント作業も結局できていなかった訳だから結果は同じだったかも。
何より一番の問題は注水できていなかったことでしょう。
原因は消防車の燃料切れによるものだったらしいですが、
SR弁開ける前に確認しとこうよ・・・
3月15日6:15 2号機容器圧力0確認
SR弁での冷却失敗により、2号機では「ドライウェル・ベント」を試みます。
このドライウェル・ベントは1,3号機で行ったベントとは違い放射性物質を含んだ蒸気を直接外部へ放出するもので、その汚染も桁違いになるため当然全世界で初の試みとなります。
東京本社からこの操作を急かされた吉田所長は
「 今開ける操作してますからっ!!ディスターブ(邪魔)しないで下さい!!」
と怒鳴っていました。
しかしこのベント作業もできず、格納容器の線量は24Sv/h(人が15分で死に至る量)圧力も750kPaまで上昇した。
そして15日6:15頃、激しい衝撃が起こった後、2号機格納容器圧力0kPaが確認された。
この時現場では格納容器大破により大量の放射線源が漏洩したと判断し、最低限の人数を残し撤退となった。
しかし実際この爆発は4号機によるものであり、3号機から漏洩した水素による爆発であったと推測されている。
2号機は格納容器の繋ぎ目から蒸気が漏れたことで爆発を免れたらしいが、直接確認はできていないとのこと。
そしてこの事故の収束に向け現場に残って作業し続けた人達のことを賞賛の意を込めて「フクシマ50」と呼ばれた。
最後に
いや2号機が爆発しなかったの、ただの運じゃね?
最後良い感じに終わってるけども・・・
現場と本部の温度差や理解度の違いは私の今までの会社でも同じような感じだったので、その辺りは現場側に共感しながら見てました。
お偉いさん達が感情的に怒鳴りあったり汚い言葉を使ったりしている所は面白かったです。
多分実際に言い合ってたと思うんですが、普段自分が「大人として凄い人」だと思ってる人も結局は同じ一人の人間なんだと思わせてくれます。
これらの映画を見るといくつかの不運が重なりこの事故が起こってしまったという印象ですが、逆に幸運だったのはなぜか2号機が無事だったことと、現場の総指揮に吉田所長みたいな人がいてくれたことだと思います。
吉田所長みたいな人は私の会社にもいましたが、ああいう人が指揮を執ると現場もそれに引っ張られて何かやらんといかんと思えるようになります。
私の会社のポンコツBT主任者がここの指揮を指揮を執ってたら、間違いなく東日本は壊滅してましたね。
ありがとう吉田所長。うちのBT主任者に爪の垢を飲ませてあげたいです。